百年文庫55「空」北原武夫 ジョージ・ムーア 藤枝静男
「聖家族」北原武夫
昭和12年3月、生駒いくのは瀬戸内海の小島で小学校教員をしていましたが、26歳のとき突然退職して東京の洋画家有馬画伯に弟子入りしました。その年の秋、いくのははじめての恋と失恋をします。そしてその冬に「これからは貧乏して絵を描いていく」と決意し独り暮らしをはじめました。
それから一年後、街角の軒下で肖像画を描いて暮らすいくのに結婚の話がもちあがりました。相手は神に仕える仕事をしている赤井啓介という男性でした。いくのは啓介が探してきた派出婦や内職をして赤木の仕事を支え、一年後に男の子を生みました。いくのは子育てしながら働くために啓介の発案で寺の境内で託児所を始めました。そこに預けられる子供は多く次第に幼稚園のようになりました。啓介の「説教」も好評でした。しかし、その後啓介は貧しい人たちのための教会を建てると言って、副牧師となる女性と家を出ていってしまいました。いくのは一切が神の思召しだと思いました。
太平洋戦争が始まった年。有馬画伯の別荘番として暮らしていたいくのは、砂浜で田島順吉という奇妙な画家と出会い結婚します。いくのは仕立物の仕事や幼稚園の先生などをして暮らしを支えました。いくのは働くことが愉しかったのです。
しかし、あるとき、いくのは順吉の「あの海だって、太陽だって、君みたいにそんなにせっせと働いちゃアいないぜ。……。」という言葉で大切なことに気付きます。
理想の生き方を求め続けた主人公のラストシーン。現代にも通ずる普遍性を強く感じました。
「懐郷」ジョージ・ムーア 高松雄一 訳
ジェイムズ・ブライデンは医者の勧めで、13年ぶりに故郷のアイルランドへ帰りました。
故郷の村は貧しく、人々は司祭に対して従順でした。
ブランデンは、村の娘マーガレット・ダークンとの恋に陥り結婚の約束をしますが、村の自然よりもバワリーのざわめきを選び、マーガレットのもとを去りました。
やがてブライデンはバワリーで外の女性と結婚し子供たちが生まれました。そして彼は年老いて妻が亡くなり子供たちは結婚しました。すると独りになった彼の心にマーガレットの思い出がよみがえり、故郷の自然が見えてくるのでした。
「あらゆる人間のなかに、当人のほかには誰も知らない、不変の、無言の生命がひそんでいる」という言葉は真実なのでしょう。しかし、人はそれに対して知らない振りをしてやり過ごすことによって均衡を保っているところもあります。
「悲しいだけ」藤枝静男
作者が70歳のときに発表した作品です。
作者は医師であるだけに、妻の闘病と死の描写が実に克明です。
主人公は、妻を亡くしたことで自らを顧みると共に、親兄弟・親族との繋がりについて見つめ直しています。その言葉には、生を終えるときのことを考える年代になった者にとって、少なからず共感するところがありました。
死は一つの現象であるという理屈は分かっていますが、「悲しいだけ」という感覚が塊となって存在しています。
今、この向こうにあるものに向かって行こうとしているのだが、今は悲しい。主人公は前に向かおうとしているのです。
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