「言う」と「いう」の違いと使い分け
「彼は最近、自分の意見を言うようになった」
「昨日、花子という少女に出会った」
上記のような文を書くときに、「言う」と「いう」の使い分けに迷ったことはありませんか?
今回は、「言う」と「いう」の違いと使い分けについてお伝えします。
目次
「言う」と「いう」の違い
いくつかの辞書で「いう」を引いてみましたが、その中で、goo辞典「デジタル大辞泉(小学館)」が分かりやすかったので、参考にさせていただきました。
本書では、「いう(言う)」を(1)~(3)に分類して解説しています。
「言う」
(1)言葉を口に出す。心に思っていること、考え・判断などを相手に伝達するために、言葉に出したり、文章に表したりする。
(2)何らかの声や言葉を発する。 動物などが声を出す。物が音を発する。音を立てる。
「いう」
(3)実質的な(1)の意味が弱まったり、なくなったりして、常に他の語に付いて用いられる。
「言う」と「いう」の使い方
上記のことから、「言う」と「いう」の使い方を次のようにまとめました。
「言う」の使い方
- 思いや考えなどを伝えるために、言葉を口に出したり、文章に表したりしている場合に使う。
「いう」の使い方
- 「言う」の実質的な意味が弱まったり、なくなったりしている場合に使う。(言葉を口に出したり、文章に表したりしていない場合)
さらに短くまとめると、
- 「言う」 ← 言葉を口に出している場合
- 「いう」 ← 言葉を口に出していない場合
となります。
「言う」と「いう」の例文
上記の「言う」←言葉を口に出している場合・「いう」←言葉を口に出していない場合を念頭に置いて、例文を読んでみましょう。
「言う」の例文
(1)
「やっと片言を言うようになった」←(言葉として出す)
「文句を言う」←(言葉にして表す)
「これ以上言うことはない」←(言葉にして表す)
「一一月三日を文化の日と言う」←(名づける)
(2)
「犬がわんわん言う」←(動物が声を出す)
「鉄瓶がちんちん言う」←(物が音を発する)
「床がみしみし言う」←(物が音を発する)
「いう」の例文
(3)
「ハイジという少女」←(「~という」の形)
「世界の中のアメリカという国」←(「~という」の形)
「人事部という部署」←(「~という」の形)
「人というものはわからないものだ」←(「~という」の形)
「おまえというやつは何とひどい人間なのだ」←(「~という」の形)
「何十万というイナゴの大群」←(「~という」の形)
「入り口という入り口は閉鎖された」←(「~という」の形)
「店という店はどこも休んでいた」←(「~という」の形)
「今日という今日はがまんできない」←(「~という」の形)
「特に用事という用事でもないが」←(「~という」の形)
「ああいう場所には近づくな」←(副詞「こう」「そう」「ああ」「どう」に「いう」「いった」が付いた形)
「これという欠点もない」←(代名詞「これ」「どこ」「なに」に「という」「といった」などが付いた形)
「気象庁の長期予報によると、今年の冬は寒いという」←(「…という」「…ということだ」などの形)
「病状は峠を越したということなので安心した」←(「…という」「…ということだ」などの形)
いかがでしたか?
「言う」と「いう」の違いと使い分けについてご理解いただけたのではないでしょうか。
公用文等での「言う」と「いう」の使い分け
「言う」と「いう」の使い分けについては、各公共機関や研究機関の「用語用語例」などで取り上げられています。
「文部科学省用字用語例」には、「いう」の書き表し方などについて次のように記載されてあります
見出し 表外漢字・表外音訓等 書き表し方 備考 いう ▲云う 言う …いう
彼の言うこと、 …と言えよう …という(場合)、そういうこと
[(出典元:文化庁 新訂 公用文の書き表し方の基準 資料集)]
また、「奈良県国語教育研究会における文書等を作成する際の表記・用語例」には、
使用していきたい表記 使用を避ける表記(△…許容) いう ○意見を言う いう ○Aさんという人 ×Aさんと言う人
と記してありました。
「佐賀県教育センター 論文表記上の留意点 (語例集)」には、
見 出 し 表 記 備 考 いう 言う ~いう
いう
彼の言うこと ~という場合
こういうこと
仙台市教育局教育人事部教育センター「用字・用語の表記例」「(新訂 公用文の書き表し方の基準(資料集)」には、
言う 「お世辞を言う」
いう 「Aさんという人」
とありました。
まとめ
このように、国及び公共機関・研究機関などでは、「言う」と「いう」の表記例を示しています。
これらが、個々人の「言う」と「いう」の使い方の基準となるわけではありませんが、例えば、
「昨日、花子と言う少女に出会った」
という文を読んだとき、どんな気持ちになるでしょうか?
おそらく、多くの方々が違和感をもつのではないかと思います。
それは、基準によってそう感じるのではなく、日本語の使い手として培ってきた言語感覚によるものだと思います。